企業のロゴが現すのは、多くの場合、企業理念や、見ただけで、わかりやすく想起できるそのサービスの内容である。五弁の桜の中央に文を擁した片山のロゴが物語るのは、何だろう?
線描きの力強い桜紋は、実は、創業者、文三郎を丁稚奉公から独り立ちできるまでに鍛えあげた主筋である友禅商のマークである。明治時代、当時の暖簾分けは、主筋と競合しないよう、同じ呉服商であっても、友禅とは違うものを商うのが常識であった。しかし桜紋は、譲り受けることが許され、これからたった1人、商売の荒海に漕ぎ出す若者達への、はなむけとしたようだ。暖簾分けされた文三郎の同期達も、それぞれが同じ桜紋に、独自の工夫を加えて、ロゴマークとした。
文三郎の修行時代がどんなものだったか、今となっては知る由もないが、周りの方々からの呼び名は「ぶんドン」だったそうで、音節的にも呼び易く、いかに沢山呼ばれ、周りの役に立つ修行時代であったか、想像に難くない。桜紋の左右対称の美しさを妨げることなく、かつ、自分の厳しく初々しい修行時代を大切に思い、文三郎は、その文を桜紋の中央にさりげなく配したのだろう。礼節と、美しさを重んじる明治人の心意気をこめて。
今も、京都本店表に掲げる「片山文三郎商店」の墨書きの屋号は、能書家だった文三郎の手による元来縦書きの文字を、現社長一雄が、2000年代に、怒涛のように押し寄せるグローバル化の予感を受けて、一文字一文字を分解し、横書きに組み直したものである。今も残る創業当時の大福帖などに、文三郎の自由闊達そのものの文字を沢山見ることができる。文三郎の迷いのない筆は、舞うように大胆に、大小、強弱がつけられ、誠に味わい深い。
人伝に聞いた文三郎の逸話がある。秋、丹精こめた中庭の落ち葉を自ら拾い、すべて綺麗にするはずを、なぜか必ず最後のひと葉は、そのまま土に残しておく文三郎に、わけを聞いたところ、「綺麗すぎるのは、美しくない」と、答えが返ったそうである。清水に魚棲まず、と言ったところか。時代の少しだけ先を読んで、柄の少ないシックな絞り染め呉服で成功した文三郎。彼の書いた文字は、何よりも美しさを追い求める人となりを表して、今も我ら、BUNZABUROを、見守っている。
1992年、三代目・片山一雄が継承してからは、江戸時代以来途絶えていた「本座鹿の子絞り」の技法を復刻するなど、伝統の担い手としての使命も守りつつ、現代ファッションとアートが融合したものづくりをさらに加速させています。 元来は伸ばして柄を楽しむものであった絞り染めを伸ばさないでユニークなフォルムとして見せる、生地の裏面をあえて表に用いた洋服など、捉われない彼の感性が見据えるものも、今よりほんの少しだけ先にある美しさです。 糸をほどいた瞬間の大きく突き出した絞りのフォルムを生かし、スカーフやファッションを製作。 身に纏えばその人自体がアートな存在になれる「WEARABLE ART」として提案しています。 そこには、驚きと喜びが共存します。
日本古来の伝統技術である絞りを現代の暮らしの中に提案する。
次の世代へ、またグローバルに良き物を発信しながら、繋げていくこともまた大切な仕事であると考え、海外展開にも積極的に取り組んでいます。